運営費を協力してるフィリピンの幼稚園の支援団体から、フィリピンの子供が下書きして一生懸命作ったカードが届きました!普段はどの言語を使ってるのかな、鉛筆で下書きした上に、英語とタガログ語かな?でメッセージを書いてくれてます。ちょうどわが家では息子が高校受験で、つい先日まったく同じように鉛筆で下書きのうえにペンで清書して願書に記入してましたけど、何とも汚い字だなと嘆息ものでした(^^; けど、頂いたカードの方は何とも微笑ましい(^^)
屋根はヤシで葺いてあるのかな、おうちの絵が南の島国のそのイメージとぴったりでこれまた微笑ましい。一方で、今月初旬に再び見舞われた大型台風の影響、こうした家だと大きな被害を受けたんじゃないのかと心配です。南の国のクリスマスってどんな雰囲気なのか想像つかないけど、この子たちにも穏やかな日々が訪れてくれたらいいけどな、と思います
今年の夏は、息子は高校受験で(さすがに自覚があるのか)「どこも行かないよ」と言っていた。かたや娘は、「沈下橋に行って飛び降りる!」と言う。最初にクジラを見るために高知に行くようになってからもう何年になるのか、高知にはほぼ毎年行っているのだが、4年前、娘は「また飛び降りたい!」と言って沈下橋に向かったものの、前日はできていたことが急に怖気づいて飛べなくなり、僕に自分で言い出したことだろうと怒られたトラウマがある。きっと彼女なりに心に期すものがあったのだろう、僕は前の週と後の週がそれぞれ海外出張が入っていて、片道約600kmを1人で運転するのは正直辛いものがあったが、まさに沈下橋から飛ぶためだけに、高知に向かうことにした。小6の娘と2人だけではなかなか難しい局面も予想されるのだが、今回は愛犬のブーも連れていくことにし、それはそれでロングドライブは初めてなので大丈夫かと思ったり、はたまた事前にはペットが同宿できるところを探すのに苦労したりした。
結果は写真のとおり。4年前と同じ勝間の沈下橋、娘はリベンジを果たした。何らか自分の中のわだかまりを乗り越えたのかな?何度か自分で望んで飛んで、もう十分と感じたのか、あっさりと「もういいわ」と言って終わった。ブーも初めて泳ぐことを経験(^^) ちょっと前まで四国も猛烈な雨に見舞われ、果たして川に入ることすら難しいのではないかと出発前には思ったりもしたが、澄んだ水ではなかったが、娘もブーも(?)それぞれ目標を達成することができた。本当に幸運なことに、滞在中雨に見舞われなかったのはこの日1日だけだった。
今回は前々から気になってた梼原を訪ね、途中で海洋堂ホビー館に寄ったりもした。四万十川支流の半端なく辺鄙なところに、ナンバープレートから判断するとかなりいろんなところから好事家が集まってきてるのには驚いた。下から2番目の写真は、梼原の千枚田。司馬遼太郎が「万里の長城よりも素晴らしい」と絶賛したそうだ。
さらに、仁淀川にも(1番下の写真)。残念ながら四万十川同様にごりがとれず、「仁淀川ブルー」は目にすることができなかったが、ここでも飛び込めそうな沈下橋を確認。帰路は高知道に戻らず、さらに仁淀川沿いに遡り、峠を越えて愛媛に入ったが、上流部の渓相のその碧さの素晴らしかったこと!次回はぜひ、改めて「仁淀川ブルー」を体感したいものです
遅まきながら、7月にマニラのパタヤス地区を訪ねた際の報告です。会社の会議が(なぜか)マニラであり、帰国日のフライトまでの時間を縫っての行動だったため、帰国後「デング熱にでもなったら何言われるか分からん」と思ってアップを見合わせているうちに、とうとう今日に至ってしまいました(^^; 図らず、その間には国産?デング熱が流行る有様、時間がある今してしまわなければ、あの時の衝撃も、伝えたいことも忘れ去ってしまいかねないことを危惧し、急ぎアップします。
フィリピンと言えば、なぜか「スモーキーマウンテン」が僕の中にはあります。初訪比に当たり、今回お世話になったNPO ACCESS(京都)さんを通していろいろと現地の事情を調べてみると、当地区は急速に治安が悪化しており、よそ者の訪問は危険を伴うことが分かりました。代わりに紹介頂いたのが、今回訪問したパタヤス地区、通称「スモーキーバレー」でした。
どんなところか、どんな歴史があるのか、そうしたことは現地の支援に入られている方々のサイトを見て頂いた方がきっと詳しく、正確に理解頂けると思います。僕がここを訪ねて感じたことは、「ここに住む人たちに、特に子供たちにとって、「未来」ってなんだろう?」ってことでした。
ご案内頂いたNPOスタッフの方に、ここの暮らしのことをいろいろ教えて頂きました。危険な「ゴミ山」での仕事での収入は1日150ペソ(1ペソ=2.4円)、一方で現在のフィリピンの最賃は450ペソ。ここにゴミを捨てるのにトラック1台分の費用(利用料)が600ペソ、1日の利用台数は500台。ここは近隣のケソン市からのゴミがほとんどだが、1日にケソン市で発生するゴミは1,500トン。かたや、スモーキーマウンテンが抱えるマニラのゴミは7,000トン!うち、リサイクル可能なゴミは2000年のデータで13%、有機物が50%とのこと。ところが、「高価な」ゴミはやはり「持てる者」に行き渡るようになっていて、同じゴミ業者でも有力者ほど高価なゴミが捨てられる場所の近くに陣取ることができるとのこと。
地区には市場(写真中)があり、いわゆる「BOPビジネス」そのままに、食用油だとか、1回分に小分けして売られています。水も、ガスもない家は、ある家から水を買い、また市場の端にある炭屋から炭を買います。幼稚園、小学校もありますが、幼稚園はACCESSさんが経緯があって一旦手放した施設を今年から再度運営することになったものだそうです。メモが定かでないため、ここだったのか、ここに来る途中のマンモス校であったのかあやふやですが、小学校の生徒数は何と4,000人!多過ぎて、授業は午前と午後の入れ替えで行うのだそうです。フィリピンの小学校は、入学時には簡単な読み書き・算数ができることが前提だそうで、実質幼稚園に行けないと小学校に繋がらないらしいのですが、幼稚園(就学前教育)は義務化されたものの「公教育」ではないようです。
訪ねたのは土曜日で、学校も幼稚園もお休みの日でしたが、地区の広場では若い子たちがバスケに興じてました(写真下)。その背後には、日々高くなり続けるゴミの山が。この子達は、一体どんな「未来」を夢見て毎日を過ごしているのだろう、と思いました。
写真中の市場の背後にもゴミの山。こちらは古い方で、かつてこの「山」の斜面が崩れ、それに巻き込まれて多くの犠牲者が出たのだとか。写真下の方の山は新しい山で、かつての事故を踏まえ、現在は一定の傾斜までしか積んではならない規制があるそうです。
別の意味で驚いたのは、ゴミ山から発生するメタンガスから発電事業が営まれているとのこと。これに日系商社がかんでいるのだとか。でも、電力を供給できる範囲がごくごく限られ、「補助金ビジネス」という見方が一般的なようです。
短い滞在時間でしたが、大きなショックを胸にして当地区を離れました。さらにショックだったのは、現地で案内をしてくれた女性について帰りの車中で尋ねた時のこと。「だんなさんは1年前に強盗に殺された」と。まだ生まれたばかりの子を含め、小学生以下の子供が3人と老いたお母さんと5人で、極めてつましい小屋での暮らし、、韓国のことわざだったと思いますが、親が子供にできることのたとえとして、「食べ物と教育は必ず本人のものになる」といった趣旨の言葉を聞いたことがあります。「未来」を心配する前に、まず、この2つを何とかしなければ、、振り返って、どうしても自分の子供のことを考えてしまいます。「人の役に立つ人になりたい」と言いながら、たとえば塾にかかるお金、そのお金に見合う努力をしているのか。その金額が一体ここに暮らす人々の何日分の稼ぎになると思ってるのか、、
「どうしてここ?」と言われれば、「縁」としか言いようがない。だけど、何か役に立てることを、ほそぼそでもいいと思うので続けていけることをしていきたいと思いました。探してみます
(写真上 マニラ地区近郊。バタヤスではないが、マニラ地区にも貧しい地区はここそこにある)
ここに引っ越してきた時に、芝生だけじゃさみしいからと庭に植えてから3度目の夏でこんなに獲れました!まだ未熟な実が半分ぐらい残ってますが、ひと山760gなり(^^)
わが家の庭木は木蓮にやまぼうし、それにブルーベリー。いまの家に越してきて3度目の春となり、手植えした苗木たちもずい分と大きくなりました。先週ぐらいから咲き出していましたが、この冬を無事に越し、ブルーベリーにもずい分たくさん花が付きました(^^) やまぼうしも、まだ葉っぱと同じ緑色ですが、今年はたくさんの花が付きました。
というわけで、すっかり春。暖かくなったところで、前回のトリミングからちょうど1ヶ月経ったこともあり、わが家のぶー子ちゃん、今日はお風呂に入りました!美人さんにはなりましたが、毛がふわふわになった分、ますます”ぶーちゃん”になってしまいました(^^)